こんにちは、紅茶です。
今回は雑談。去年の夏から半年ほど更新をお休みしていました。
その間に色々と思ったこと、気づいたことを書きます。
メインテーマは「自分を守る境界線を引くのは大事」ということ。
今回の記事は長くなりました、目次から気になるところだけでも拾って読んでみてください。
それではどうぞ。
- 「いい人」になろうとして消耗した
- 好かれるための自分と、嫌われる本当の自分
- 合わないものは合わない
- 「自分がどうしたいか」
- 適度に関わる(←簡単じゃない)
- 嫌われていいと思える境地
- 関係を切るのはもったいない?
- ひどい態度を取られて悔しい!因果応報は!?
- 嫌がらせをされたら
- 孤独にもメリットがある
- 離れていかない人は必ずいる
「いい人」になろうとして消耗した
一番反省してるところです。
私生活、職場、趣味の活動場所などで、過剰に親切にしすぎていました。
自分で親切って言っちゃってますが、私自身はそんなつもりはなかったんですよね。
でも自己犠牲の元に成り立っていた関係が崩れるのは時間の問題でした。
みなさんの周りでも、我慢し続けないと繋がれない関係ってありませんか。
やめてみると、それでも繋がれるか、離れていく関係なのかわかります。
私の場合、離れて行きました。
孤立感・孤独感・みじめさを感じましたが、ある意味、健全な状態にリセットしたんだと思います。
最初は辛かったです。

次行こう、次
好かれるための自分と、嫌われる本当の自分
「ありのままの姿見せるのよって歌っててもさ、嫌われるじゃん、
少しも寒くないわって痩せ我慢してたけど、凍え死にそうだったよ。」
そう語るのは、紅茶とゲーム日記の紅茶さん。(誰だ)
環境に馴染むために「そうであろうとする」ってことは起きるんですよね。
本当の自分からかけ離れていても、それで誰かが優しくしてくれるなら、それで立場が安定するなら・・・と。
特に、ありのままの自分でいることで傷ついた経験や、自分で自分を封印しないといけないという心当たりがある時は、難しいですよね。
私はつい思ったことをそのまま言っちゃうところがあるんですが笑、どんなに気をつけていても、好かれようとしても、別人になろうと努力しても、嫌う人は嫌うんで、もう嫌われようと思います。
その代わり、自分を裏切ったり、追い込むのはもうやめようと思いました。
本当の自分をありのまま受け入れられるのは、自分しかいない。

心から選んだことを信じる
合わないものは合わない
どれだけ気をつけていても、自分にとってしんどい人っていらっしゃる。
合わないものに、自分を削って合わせる必要は・・・ありません。
ほのおタイプの使い手(性格悪い)しかいない環境に迷い込んだチコリータのようなものです。
笑顔で葉っぱをフリフリしても燃やされます。
燃やさないでください、私を仲間にしてください、こんなことも出来るんです、面白いでしょ?
こんな感じでいると、利用されてしまいます。
近づいてきます。そして自ら関わり続けてしまいます。
それはお友達と言えますか。仲間でしょうか。
先生や上司、身内であっても、一方的に支配されていて自分の中に違和感を感じているのなら、サインだと思います。
私もたくさん見て見ぬふりをしてしまいました。
自分に「ごめんね」と言いたいです。
まるでエンゼルフィッシュしかいない水槽に入れられたメダカ、
カマキリと同じケースに入れられた蝶々、
コメダでビーフシチューを注文した私と、テーブルに置かれた熱々のビーフシチューのようなもの。
そこにいると、捕食される、奪われる、失う、すり減る、疲れる、モヤモヤする。
残念ながら、そんな相手や環境ってありますね。
耐えますか、戦いますか、逃げますか、気づかないふりをしますか、
自分や誰かを責めますか。
私は全部やりました。やってしまったとも言う。
しかし何が正解だったのかはいまだにわかりません。
もし我慢していれば、もし言い返していれば、もし離れていれば、
もしもしもし・・・
「自分がどうしたいか」
自分が、です。親が、先生が、先輩が、上司が、好きな人が、インフルエンサーが、会社が、世間が、お金が、家が、仕事が、
いいえまずは、「自分が」
そうも言ってられない現実もあります。
でも自分軸を持って、線引きをすると世界は変わりました。
するとぶち当たる壁が出てきました。
それは「めっちゃ寂しい」ということ。
でも、自分のエネルギーの消耗感はマシになりました。

立派なサイン
適度に関わる(←簡単じゃない)
自分にとっていい人や環境を選んでも、境界線を許してしまうとまた同じことを繰り返してしまいます。
同じような人、環境を選んでしまいます。
これ以上自分を置いてけぼりにしないと決めているだけでも、必ず変化はあると思います。
次からは適度に関わろう。
文章にするとシンプルですが、これが難しいんですよね。
違和感を見逃さないこと
とても大事です。
この人に言われた言葉、引っかかるな?
さっき一瞬表情が変わったような?
なぜ私の意見が否定されたのかな?
この場所特有のルールがあるようだな? などなど。
巧妙に自分の意図や気持ちを隠して誤魔化しながら、気付きにくい形で支配や攻撃をする人がいます。
それは本人も無意識にやっている場合があるので厄介なところ。
悪意があるにせよ、ないにせよ、
自分が気になったら、その違和感は大事にしようと思います。
そして自分の体や心が感じているサインに注意を向けることも大事だったなと思います。
なんでかわからないけど、ここにいると疲れる。
体が重い。
気が進まない。
ざわざわする。
安心感がない。
毎回行くかどうか、会うかどうするか悩む。
今思えば立派なサインでした。

相手に無理して合わせない
嫌なものは断ること
これも大事でした。
誘ってくれる割には、会っても嫌味な態度の人がいました。
ここで私の違和感センサーが働けば、それ以降の誘いは断れていたはずでした。
しかし「場の空気」や「上下関係」とかいうクソ面倒なものに従った結果、承諾してしまいました。
反省しています。泣
断ると離れていく人は、追わないでいいと思いました。
嫌われていいと思える境地
好きか嫌いかは人それぞれの基準で決めています。
リーダーが嫌いと言えば「じゃあ私もあいつ嫌い」と周りの意見になびく人だっている。
大抵の人はみんな誰かを嫌っています。
半分以上の人から嫌われて四面楚歌のようになっていたら、とても辛いですよね。
しかし、人はみーんな価値基準が違います。
嫌ってない人もいるはずです。
嫌われることに慣れておくと、人生もっと楽になりそうだなって思います。
自分を大事にする、もう振り回されないようにしたい、
となると、自分を嫌う人は現れると思うんです。
だって人に合わせることをやめてるんですから。
嫌う人、離れていく人が出てきたということは、
「自分を後回しにしていない、大事にできている」サインなんだと思います。

明日は明日の風が吹く
関係を切るのはもったいない?
自分が傷つき、消耗しているのであれば、それを維持するほうがもったいないと思いました。
だって優しい対応をしているように見えて、成功や幸せから遠ざけようとする人も、中にはいますもん。
人が傷ついて離れていく環境には何かしら原因があります。
100%自分だけが悪いなんてことは絶対にない。
一時的に離れることはよくあることだし、次に繋がれた時は、前より成長して進化した関係になっているかもしれない。
今は一旦、さようなら。

離れてみると良さがわかることもある
ひどい態度を取られて悔しい!因果応報は!?
因果応報はあるので大丈夫です。(←誰なんだ笑)
やったことには結果が伴います。(タイムラグはあるだろうけど)
やり返さない。
相手を不幸にするのではなく、自分が幸せになろう。
本当の幸せには競争や優劣はないはずです。
その人が幸せだと思うなら、それが幸せですから。
価値観は人それぞれ。
私もこれまでに、人に言ってしまったこと、やってしまったこと、
不愉快な思いをさせてしまった分は、自分に跳ね返ってきたんだと思います。
例えどんな事情があっても、やってしまったことは事実です。
人に悪いことをされたら、別の人に悪いことをしてしまって、やられた人もどこかで歪みが生じて、
また別の誰かが傷ついたりしている、そういう負の連鎖があるんだろうなと思います。
なるべく負の連鎖は受け取らない、受け継がないようにしたいものです。
嫌がらせをされたら
淡々と、冷静に、社交辞令だけ、必要最低限のマナーは守って毅然に振る舞う。
これだけに努めました。これで相手は何かを察します。
距離を置いた、前のように反応しない、目も合わせない、何も言ってこない。
こちらはただの「無」です。相手に何も与えない、求めない。
この姿勢で、どうしても会わないといけない日は乗り越えました。
でも、できる限り逃げてもいいんだと今は思ってます。これも何かの修行だ!と思って今まで、あえて逃げないようにしていましたが、必ずしもそうではないんだ。
真正面から無理に対峙しなくてもいい。

女同士の争いはめんどくさい
孤独にもメリットがある
世のため人のため、と働いている人は立派です。
しかし本当に本当にいろんな方がいて、「善意」や「親切」と一言で言っても、
それが「意見の押し付け」や「コントロール」になっていることもあり、
時には「恩着せがましい」こともあるわけで。紙一重な部分だと思います。
でもそれを「受け取るか」「受け取らないか」は選べます。
私は何でもかんでも、周囲の言葉を正面から受け止めすぎていました。
今振り返ってみると、嫌味や皮肉、嫉妬、妬みも含まれていたんでしょう。
違和感に気づいていながら、ただそれに耐えるだけ、やり過ごすだけの日々にはもうさよならです。
純粋な「優しさ」や「愛情」とはなんでしょうね。
人付き合いは仮面をかぶって武装するのが当たり前であって欲しくないんですが、
そんなもん。そんなもんなんです。
みんなと正直に関わる必要は、ないんだろうな。
だからこそ、自分が心許せるものや人、場所に出会えた時は幸せです。
時には残酷で、自分だけがそう思っていた、その場所や人たちから受け入れてもらえなかった、なんてことも起こりますが。
でもそれはいい発見。
自分を作り直す成長の機会であり、もっといい方向を選ぶ分岐点です。
傷ついて、しんどかったなら、
まず自分が自分の味方であり、家族であり、仲間、恋人、友人でいよう。
もう絶対に自分を見捨てない、一人にしないでおこう。
孤独は仲間。自分を守って、癒して、対話する時間。
それでも関わってくれる人はいます。
離れていかない人は必ずいる

本当に大切にしたい人、仲良くできる人を炙り出せるので、境界線を引くことはとても大切だなと痛感しました。
境界線を引いたことで、大半の人と以前より距離ができました。
それでも、
目があうとニコッと笑って会釈をしてくれるあの人、
「どうした?」声をかけてくれるあの人、
ジェスチャーだけで遠くから合図してくれるあの人、
変わらず誘ってくれるあの人、
離れないでいてくれる人はいました。
嫌な態度で接する人は自然に離れてくれましたし、(断ったり、消極的な対応、事務的で毅然とした振る舞いに切り替えたから)
心理的にも物理的にも距離を取ったことで、嫌がらせや嫌味の言葉も届いてません。
わざわざ届けられたとしても、今の私には「受け取らない」という選択肢があります。
人の態度=自分の価値、と結びつけない大切さもわかりました。
嫌な人もいる、それでも全てを排除したり回避したりすることは不可能、
「だったらうまく共存する」という選択肢も見えてきました。
これは場数が必要なので、最初は苦労するかもしれません。
そこで、目を向けたいのが、
変わらず接してくれる人たちの存在です。
こういう人たちを大事にして、自分軸を大事に持って関わろうと思いました。

昨日まで敵だと思ってた人が仲間になることも
今回の記事、長くなりましたが読んでくれてありがとうございました。
たまにこういう内容の雑談記事を出しています。(普段はゲームの感想記事です)
約半年間、ブログをお休みしていましたが、自分を守ることを後回しにしてはいけないよ、と気づいた期間でした。
参考になれば、幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。


てへっ