今週のお題「感謝したいこと」
感謝したいこと・・・、山ほどあります!笑
まず、私が今こうしてブログを更新できているということは、ある程度の健康と自由に過ごせる時間があってこそ、なんですよね。
キーボードを打つ両腕がある、手が動く、文章を考える頭が働く、まず当たり前のことが、当たり前にできる、ということに感謝です。
私が生きていられるのは私一人の能力ではありません。
私が一番感謝しているのは、ずばり、母です。母にはたくさんの迷惑をかけました。
何度も何度も私を産んでくれた母に対して、私は「もう死にたい」と言ったことがあります。馬鹿野郎、うざい、帰ってくるな、など数えきれないほどの暴言も吐きました。
何度も喧嘩をし、たくさん泣きました。
それでも母は私を見捨てませんでした。母として生きる苦労を、私は知りません。
根気強く私を励まし、体調が悪い日には病院に付き添い、食べたい物があれば、買ってきてくれました。
母は学校の先生でした。日々忙しい仕事の中で、私や兄弟を育ててくれていました。
母は自分が勤めている学校行事をいつも優先し(当たり前ですが)、私たち兄弟の学校行事にはほとんど参加できませんでした。
私は運動会や学芸会に母が見に来てくれないことを、いつも恨んでいましたし、他の家庭が羨ましかったのです。
私は誰よりも母に見に来てもらいたかったのに、それが叶わないために、いつも母に怒りをぶつけていました。今思えば、母も仕事で忙しいのに、なんてわがままだったんだろうと、自分で反省しています。
小学生の間は、両親が忙しいために、私は夕方まで別のおうちに預けられていました。ある日、私が熱を出して寝込んでいると、預かっていたおうちの人が、プリンを食べさせてくれました。詳しく聞くと、熱が出たと知った母が、仕事の合間を抜け出して、プリンを買って持ってきてくれていたそうです。それを聞いて、私は、「起きていれば母に会えたのに」と思い、ボロボロ涙がこぼれ、プリンを食べました。
私の母は仕事人間でしたが、私と兄弟のことをいつも思っていてくれたことは今でも感謝しています。いつか、母も衰え、私たちが母の面倒を見る日がくるでしょう。
「親はいつまでも生きていないよ」と何度も言われてきました。
私は、私ができるかぎり、これからは母に恩返しをしたいと思っています。
母さん、ありがとう。
最後に、沖縄のアーティストである、かりゆし58の「アンマー」という曲をおすすめして、終わりにしたいと思います。
私も母も沖縄出身です、とてもいい曲なので、ぜひ聞いてほしいです。
アンマーというのは方言で「母さん」という意味です。
最後まで読んでくれて、どうもありがとう!